久しぶりに晴れた日曜日、富岡製糸場に行ってきました。世界遺産に指定され、大河ドラマでも取り上げられ、一度行ってみたいと思っていたのです!念願叶いました!

少しブームは収まったのでしょう。久々に晴れた日曜日でしたが、そんなに人も多くなく、ゆっくり見学することができました。

富岡製糸場では、係りの方がとても親切で、質問をすると丁寧に答えてくれました。また、どこから回ればいいかなときょろきょろしている私たちをみて、警備の方が声をかけてくれたりもしました。みなさん、地元の世界遺産に誇りと愛情を持っていらっしゃるように感じました。

富岡製糸場は明治5年に官営工場として操業を開始しました。日本の近代化に製糸業を選択し、この場所にこの工場をあの時代に建設したことになんだかとても感動しました。

富岡製糸場はこの場所に建つべくして建った。そう言えるほど、最適地だったようです。

①群馬は元々養蚕が盛んで、原料繭が確保できる②工場用地が確保できる③水の確保ができる④燃料の石炭が近くからとれる⑤木材の確保⑥指導者である外国人への住民の理解 等々

江戸時代が終わってからまだ数年、明治3年に富岡に製糸場を建設することを決めた明治の役人の凄さ、パワー、西欧に追いつくという意気込みを感じました。

また、日曜日のお休み、診療所の設置、治療費が無料など従業員の福利厚生という面からも当時としては画期的だったようです。

明治26年に民間に払い下げられ、その後経営者が何代か代わり、昭和62年に操業を停止しました。つい30年前のことです。

繭から生糸をとる実演をみながら、ああかなこうかなと話をしていると、70歳ぐらいのご婦人が、声をかけてくださり、かいこが桑の葉を食べて繭をだしてそれから生糸をとる過程を教えてくださいました。そのご婦人は、養蚕業をしていたそうです。繭から生糸をとると最後に蛹が残るそうです。そしてその蛹は、煮て食べるそうです。そのご婦人はおっしゃいました。「私たちにとってはお蚕様なの。お蚕様のおかげて生活をしてこられたから・・・。」最後の蛹まで頂く、そこに感謝の気持ちがあるのだと感じました。

近代化の象徴である工場、そしてそこに携わってきた人々の心、よい秋の一日になりました。